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キメラ 後編 |
私は看護師を5年間勤めた後、今の夫と結婚して寿退職した。もとより結婚したら看護師を辞めるつもりだったので、未練はなかった。私は、ナイチンゲールに憧れて看護学校に入ったような崇高な人間ではないのだ。
お見合いで知り合ったサラリーマンの夫はよく働いたが、不景気続きで雀の涙程の給料しか貰えなくなってしまった。そこで夫は、結婚後子供も作らず毎日ぐうたらしている私に、パートで働くよう強く勧めたのだった。私としても、忙しくなれば夫と寝る機会も減らすことができるので、悪い話ではなかった。
かくして私は、近所のファミリーレストランで働くことになった。そのファミレスで、私は大久保と再会した。私は大久保の顔を見て、すぐにあの勃起少年だということがわかった。大久保健志というありふれたフルネームを見てわかったのではない。大久保の額にうっすら残る傷跡を見てわかったのでもない。私は人の持っているオーラみたいなものを見分ける能力が、人一倍高いのだ。看護師をやっていく上で、その能力だけは役に立った。
大久保は私のことなど覚えていなかった。まあ当たり前のことだろう。10年前に担当した患者のことをいちいち覚えている私の方が奇特な人間だ。
大久保はそのファミレスのサブリーダーとして真面目に働いているようだった。とは言っても、いわゆる「フリーター」というという肩書きではあったが。
出会ってからすぐに、何故か大久保は私に好意を抱くようになった。大久保はそれを言葉にはしなかったが、誰から見てもわかるような態度でそれを示した。私の他に若いバイトなんてわんさかいるにもかかわらず、私の左手の薬指にはめられた安物の指輪の存在にも気を留めることなく、大久保は私だけにからんできた。
そして、つい五時間程前に、私たち新人の歓迎会が行われた。大久保を中心とした若者がはっちゃけていた。
そしていつのまにか、私と大久保は二人でラブホテルに入っていたのだった。
私は服を着て立ち上がり、テレビを見ている大久保に言った。
「私はもう帰ります。今日のことはなかったことにしてちょうだい」
私は大久保の顔を見ないようにして、部屋の扉に手をかけた。
「ちょっと待てよ! それはないだろう!」
案の定、大久保が声を張り上げて私を止めた。
「あなたは私に何をしたかわかっているの? これは、いうなればアルコールを使ったレイプよ。それに私には家庭がある。あなたの軽率な行動で、私の人生がめちゃくちゃになってしまうのかもしれないのよ」
「そんな、ここに入るときだって、あんたは嫌がらなかったじゃないか。それをレイプだなんて、とんだ言いがかりだよ」
泣きそうになっている大久保の声を聴いて、さすがにレイプは言いすぎだろうか、と反省しそうになったが、大久保の穿いている黒地に黄色のゴムバンドが入っているCalvin Kleinのボクサーパンツが目に入り、逆に怒りが込み上げてきた。無地でダサい白ブリーフを穿いていたガキが、色気づいてんじゃねえ。
「酔った上での、合意のセックスなんてありえないわ。あなたも、もう成人しているなら、それくらいのルールはわかるでしょう? 訴えられれば、確実に負けるわよ」
「そんなのあんまりだ! それにさ、俺は本気であんたのこと好きなんだよ!」
思わず吹き出しそうになってしまった。私のことをブスと言って罵っていたのは、どこのどいつだ。
「言ったでしょう、私には夫がいるの。あなたの不倫ごっこに付き合う気はないわ。もうこれでおしまい。あなたも私みたいなオバサンなんかじゃなくて、もっと若くていい子を見つけなさい」
そう言うと私は、部屋の扉をゆっくり開いた。
「待てよ! これでおしまいはひどいだろう。それにさ、あんただって俺のこと……」
「わかったような口きかないで! 酔っていたからこんなことになってしまったけど、私はあなたみたいなガキに興味はないの!」
私がはっきりそう告げると、さすがに大久保もへこんだのか、何も言わなくなった。
「じゃ、またバイト先で会いましょう。そのときには元の先輩後輩の関係に戻ってくださいね、大久保先輩」
そう言って、私は歩みを進めた。途中で、背後から大久保の声が聞こえた。
「ブス看護婦って言って、悪かったな」
次の日、私は久しぶりに夫と寝た。
そうなった理由は、大久保とセックスをしてしまった罪悪感もあるが、それ以上に、私は夫のペニスを確認しなくてはいけないような義務感に駆られたのだ。それが何故かはわからない。ただ、そんな気がしたのだ。
夫のペニスは、使い物にならなくなっていた。私の持っている技術を全て駆使しても、夫のペニスは立たなかった。
夫が私を夜に誘わなくなったのは、これが原因だったのだ。
私は、性機能がなくなってしまった夫のペニスを見つめた。それは、11歳の大久保のキメラのようなペニスとダブって見えた。夫のペニスも、ひどく不安定で、不自然なのだ。それでいて、怪物のような獰猛さも漂わせているのだ。悲しい顔をした怪物が、恨めしそうに私を睨んでいる。私に向かって吠え続けている。アンバランスな己の姿を嘆いて鳴き続けている。私は、だんだん恐ろしくなってきた。17歳で、初めて家族以外のペニスを見たときでさえ、こんな気持ちにはならなかった。
いつのまにか、私の目から涙がこぼれていた。顔面の筋肉が、恐怖で強張っていた。今すぐここから逃げ出したいのに、体が麻痺して動かなかった。次第に私は、声を出して泣いた。夫が悲しそうな顔で泣き続ける私を見つめた。
完
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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